2010年6月29日火曜日

ひかりのような、ひと・・




夜に、映画を観るではなく、映画をみるのが好き。
私にとって映画は、子守唄のようなもの。
だけど、最近、ずっと大好きな映画をみれずにいた。

毎日の出来事。
いろんなことが、あっというまにすぎてゆく。
余裕がなかったのかもしれない。
私にとって、空気のようにただ流れる映画は、
必要なもの。

途中、寝ちゃってもいいのだ。
映画が、子守唄のようなもの。
やっぱり、みるとみないでは、
全然ちがう。
翌日の、気持ちに良い。


そんな私が昨日、
目をつぶって選び、引っこ抜いた映画は、
「マザー・テレサ」
よし、これをみながら寝るとしよう。

・・・・寝るどころではない。
心が晴れる、というか、澄む。
一人の人の行いが、優しさや強さが
人に与える勇気。すごい力となる。

遠い、少し前の、出来事。
でも、少し前に、生きた人。
存在したという事実。
自分にはあんな優しさは、
もちろん、ない。
なれるとか、なりたいとか、
できるとか、できないとか、
やりたい、でもない。
でも、すばらしい。


たまたま、昨日、
馬場と、佐藤初女センセイの話をした。
そのとき、初女センセイの優しさや、強さ、
そして、あたたかい手を思い出し、
泣きそうになるのをこらえた自分がいた。
悲しくて泣きそうだったのではない。
あの、優しくあたたかい、初女センセイを
近くに感じたから。


マザー・テレサ。
遠い国に、少し前に生きた、女性。
優しく強く、そして、自分に正直に生きた女性。
光のような、存在。


み終えた後、2度目を流して寝床にはいる。
知らない間に、寝てしまった。
気づいたら、朝。
外はまだ、日が昇りはじめるころ。
澄んだ鳥の声が聞こえる。
TV画面は砂嵐。

きれいな心の人が
遠い国にいた。
そんな絵が浮かぶ・・・

DVDを取り出す。
「マザー・テレサ」と書いている。
夢ではなかった。
夢に出てきた、優しい人は、
凛としていて美しかった。
それだけを記憶している。
そんな朝は、ちょっと優しい。


そうだ、ちょうどつい先日、感動したのだった。


先日、探し物があって、友人のをHPを拝見。
少し前の友人の日記に、マザー・テレサの話したことばが、
そのまま記されていた。
友人に許可なく、それを、転記する。
後で、報告するとしよう。許してね。


マザー・テレサ、
この数日
私の中で、
優しい光となっている。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *    


『あなたの中の最良のものを』

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。

マザー・テレサ



ひさしぶりの・・・







「ようこそ、山の食堂へ」

ドアをあけると目に飛び込む。
そう、わたしにも言ってもらってるようだ。
さ、手伝うぞ!という気になる。






このところの週末、
数年ぶりに、少しの時間だけだけど、
キッチンの仕事を手伝っている。
しばらくぶりで、まだ頭で考えて動く
という感じだけど、でも、楽しい。


ここに来て、最初の数年。
そのころは、スターネットカフェ・キッチン
だったけど、ずっと、星さんの元で。
楽しい毎日だったな。
いまは、違う仕事をメインにしているけど
隔たりはなく、すべておなじ。






ここに来てからの数年。
星さんの元で、
カフェで過ごしたあの時間が、
いまの私をつくってくれた。
四季を感じ、お客様とお話をし、
スターネットを感じ、
スターネットを知った場所。

貴重な、時間。
大きな、経験。
強く太く私の血となり流れている。
もちろん、その時間や思いが、
いまにつながっている。



その頃を思い出しながらの
週末の数時間。
なかなか、楽しい。






毎朝、摘みとる飾り用のハーブや、薬味。
毎日、違う。
毎日届く野菜からも、
日々、季節を感じる。






毎日、届く仲間の作る
野菜やくだもの、力強い、滋養たっぷりの食材。
できるだけ手を加えず、素材を活かす。







毎朝、パンやお菓子も焼き上がると
カウンターに並べる。
お客様とお話しをしながら、
「すごくおいしいよ」とパンをうる。
これも、楽しい。






「おまたせしました!ごゆっくりどうぞ」
わ〜おいしそ〜!!
と喜んでくださるお客様のお顔。

静かな時間を、
楽しく過ごすお客様を
観られるのは、楽しいし、
なによりも、嬉しい。





「山の食堂」
そこは、馬場が伝えたいことを、
ダイレクトに伝えられる場所。


よい食材、よい食事が、よい人をつくる。


そういう、言い方は乱暴かもしれないけれど
でも、
きっと、ほんと。



2010年6月26日土曜日

イッツ プラウド オブ・・・











とても個人的なこと。
私には、兄がいる。

彼は、人の身体を治療することを生業にしている。
脈を診て、鍼を少しだけうつ。
そう、鍼灸師。

思い返せば、小さな頃から、
なんだかよくわからないけど
人の身体を治すのが得意だった。

膝を痛めた、おばあちゃん。
突然、ぎっくり腰になった友人など
いつも呼ばれて、チョチョイのチョイ!と、
治していたっけ。
そんな彼には、いまの仕事は天職なのかもしれない。


その彼が、毎月、一度、
こちらまで来て鍼をしてくれる。
私だけではなく、まわりの仲間も。

先日、いわゆる身内以外の方が受けてくれた。
たまたま、施術が終わってお会いした。


生きててよかった


そんなことをいってくださった。
衝撃だった。
当たり前だが、小さなころから、
ともに暮らし、私には、
小さな頃から変わらぬ、兄だ。

そんな彼が、人にそのようにいってもらえる
仕事をしている。
誇らしいというよりも、驚いた。


人の痛みをとり、時に、延命のお手伝いを
少しくらいはしている。
しかも、ほとんど、うたない鍼で。


人のためになる、仕事。
人に喜ばれる、仕事。
そんな仕事を、楽しそうにやっている兄をみると
ああ、すごいことだな。よかったな。と
正直、思う。

でも、
生きててよかった、って。
すごい言葉。
しかも、兄の施した鍼に対しての
言葉だったから、
とても驚いた。
とても、ショックだった。

そんな衝撃を受けて以来、
ああ、兄がそんなふうに・・・
あら、すごいな兄。と思いながら
ふと、思う。

兄は、月に一度、ここへ来て
私のいまを、どうみているだろう。
もちろん、私の毎日は、
兄のように、少しの鍼や技術で、
治すなにかをしているわけではない。
もちろん、兄のように
彼にしかうてない、
鍼ができる訳ではない。


技ということでなく、
私にしか、できないことを、
私はできているのだろうか。
そんなことも、思いながら
この数日過ごしている。


生きててよかった。と
人に言ってもらえる兄と
決して、競う訳ではないけれど、
ここにいる私が、兄にとって
衝撃を与えるような
そんなことが、できているだろうか。
と、考える。



いま、私は、ここにいてここで暮らしている。
兄のような、技術をもたない私の毎日は、
私にしかできないことでは
ないのかもしれない。


私は、ここにいる。
ここにいる、私。
それしか、ない。
でも、それで、いい。
いや、「それで」ではなく、
それが、いい。


そう、
ここは、そういう、場所。
生きててよかった・・・
そんな声が、聴こえる場所。



きまぐれなおてんき








つゆのたにまのせいてん。

朝から、すでに、日差しがまぶしい。
夏は、すぐそこ。
と思ったら、
昼には、またシトシト雨模様。

この季節、お天気も気まぐれ。
「きまぐれ」
嫌いではない。

きまぐれ、だから、おもしろい。





2010年6月25日金曜日

昨日、今日、明日。





前回反省したのに、懲りずに、
またまたご無沙汰しております。
日記、というより、月一の「月記」になっている。
せめて、週記くらいにしたいもの。

こんなに更新されないのに、楽しみにしていると
言ってくださる方が多く。有難きこと。
アア、カタジケナイ・・・


このひと月。いろんなことがあった。
ほんとうに、いろいろ。
昨日も、今日も、きっと明日も。

何か新しいことは毎日あって、
盛りだくさんなのに
こんなに、間をあけているものだから、
何から書こうかな〜と、考える。
思い出は、次の機会のプラスαの肥やしとし、
新鮮なことを。と、前向きに。
だから懲りない。


この数日。大好きな人たちとともに過ごす。
とても尊敬する、そして
とても親しくしてくださる大好きな方々。
東京からお泊まりでお出かけくださった。
ほんとに楽しい3日間でした。
感謝。



昨日のお休みのことを。
益子案内、だからでもありますが、
濱田庄司三昧!の一日を過ごす。


朝から、梅雨の谷間の、嘘のような気持ちのよいお天気。
晴れ!快晴!!
楽しく朝食。





→益子陶芸メッセの旧濱田邸へ。
縁側に座り、台所をのぞき・・・古き良き時代と
濱田センセイの、面影と足跡とたどる一日のスタート。
昔はすてきね、でも、今も捨てた物ではないはよね。
だって、それは自分次第。






→益子参考館
濱田センセイが集めた世界の民芸工芸品を拝見。
わたしはこれが、あなたはこれね、と
逸品や秀品をおなかいっぱいになるまで愉しむ。
よき時代、すばらしいもの。
この時代の、すばらしきものごと。昔そして、今。
どちらも同じように、すばらしいと思いたい。
だって、これも自分次第。





→おいしくたのしく、お昼ご飯。
馬場夫妻、星も一時合流。
みんなでたのしくお蕎麦などを
おなかいっぱいにいただく。


この日のテーマのようになったのだけど
濱田センセイを介してみる益子。
この土地のこと、自然のこと、
焼き物のこと、人のありよう。


益子の昔、益子の今。
民芸の昔、民芸の今。
昔、今、の時間による縦軸と、
人との関係による横軸。


普段考えないことを、考えた。
濱田センセイを真ん中にして。
面白い。





→宇都宮の栃木県立美術館へ。
「知られざる濱田庄司」展を観に出かける。
実は、この展示、先週も馬場と星とでかけ
観たばかり。
出不精の私。
観たくなければ、出かけない。
でも、この展示、すごくよかった。
何がよかった、って。
全部よかった。というのは乱暴だけど、
嘘ではない。

こんなに力強く、すばらしい物をこしらえる
濱田庄司という人が、少し前の時代に、
すぐ近くに住まい、
すぐ近くの、多くの人たちと、
地に足をつけて、暮らしていたという事実。
しかも、あんなに、まじめに。


この、益子という土地の地場。
それを、濱田センセイを介し、観られた気がした。
そして、思った。
何かのご縁があって、自分が暮らすこの場所を、
ここで暮らす自分のことを。



この数日、尊敬する大好きなひとが教えてくれたこと。
「すべて自分に近づけて考えてみる。
それはとても重要なこと」


近づけて考える。
この場所を、大好きな人たちとの関係、自分。
すべてをつくり、築くのも
日日の自分であるということ。
遠い先の自分ではなく、さっきまでの自分と、
すぐ後の自分。


そっか。そういえば、
馬場には、同じことをいつも言ってもらっている。
「けっきょく、ぜんぶじぶんのもんだいなんだよ」と。
そっか。そうだな。


結局、どんな毎日でも、積み重なる。
良き日も、悪き日も。
「善きも悪しきも己次第」ということか。

濱田センセイの毎日の日常が、
あの濱田センセイを作った。
当たり前のことなのだけど、
毎日。それが、自分をつくる。
ご縁があって交わる多くの
大好きな人たちは、皆、妥協がない。
ほんとに、スゴイ。

自分は・・・・・
と、
潔く、反省をしたところで、
月記改め、週記。
と、こんな私の記する月一のつたないこの戯言を
楽しみにしてくれる
大好きな方へ、感謝して。


今日も、楽しくよき一日。
明日もよき日でありますように。


ツイシン:オトウサン、オタンジョウビオメデトウ。