2010年6月26日土曜日

イッツ プラウド オブ・・・











とても個人的なこと。
私には、兄がいる。

彼は、人の身体を治療することを生業にしている。
脈を診て、鍼を少しだけうつ。
そう、鍼灸師。

思い返せば、小さな頃から、
なんだかよくわからないけど
人の身体を治すのが得意だった。

膝を痛めた、おばあちゃん。
突然、ぎっくり腰になった友人など
いつも呼ばれて、チョチョイのチョイ!と、
治していたっけ。
そんな彼には、いまの仕事は天職なのかもしれない。


その彼が、毎月、一度、
こちらまで来て鍼をしてくれる。
私だけではなく、まわりの仲間も。

先日、いわゆる身内以外の方が受けてくれた。
たまたま、施術が終わってお会いした。


生きててよかった


そんなことをいってくださった。
衝撃だった。
当たり前だが、小さなころから、
ともに暮らし、私には、
小さな頃から変わらぬ、兄だ。

そんな彼が、人にそのようにいってもらえる
仕事をしている。
誇らしいというよりも、驚いた。


人の痛みをとり、時に、延命のお手伝いを
少しくらいはしている。
しかも、ほとんど、うたない鍼で。


人のためになる、仕事。
人に喜ばれる、仕事。
そんな仕事を、楽しそうにやっている兄をみると
ああ、すごいことだな。よかったな。と
正直、思う。

でも、
生きててよかった、って。
すごい言葉。
しかも、兄の施した鍼に対しての
言葉だったから、
とても驚いた。
とても、ショックだった。

そんな衝撃を受けて以来、
ああ、兄がそんなふうに・・・
あら、すごいな兄。と思いながら
ふと、思う。

兄は、月に一度、ここへ来て
私のいまを、どうみているだろう。
もちろん、私の毎日は、
兄のように、少しの鍼や技術で、
治すなにかをしているわけではない。
もちろん、兄のように
彼にしかうてない、
鍼ができる訳ではない。


技ということでなく、
私にしか、できないことを、
私はできているのだろうか。
そんなことも、思いながら
この数日過ごしている。


生きててよかった。と
人に言ってもらえる兄と
決して、競う訳ではないけれど、
ここにいる私が、兄にとって
衝撃を与えるような
そんなことが、できているだろうか。
と、考える。



いま、私は、ここにいてここで暮らしている。
兄のような、技術をもたない私の毎日は、
私にしかできないことでは
ないのかもしれない。


私は、ここにいる。
ここにいる、私。
それしか、ない。
でも、それで、いい。
いや、「それで」ではなく、
それが、いい。


そう、
ここは、そういう、場所。
生きててよかった・・・
そんな声が、聴こえる場所。



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